「明日の新聞」クロニクル その②
阿刀田高 「明日の新聞」⇒吉行淳之介 「あしたの夕刊」
前のエントリー「明日の新聞」探しの旅①で記載漏れしてしまいましたが、阿刀田高「明日の新聞」所収の「花あらし」は奥付によると2001年2月の刊行となっていました。それで今回の「あしたの夕刊」は、吉行淳之介全集 第3巻(1997年12月)に所収されていますが、没後の刊行となりますので、初出等のデータはよく分かりません。ということでクレジットの補足をしたうえで、今回は「あしたの夕刊」のお話。
あらすじは…(以下ネタバレ注意)
主人公はとある作家。短編の締切りが迫っているのに、どうしても書くことが出来ないで自棄になっているところに、約2週間先の朝刊が届いてくる(夕刊ではない)。そこには書き上げて渡すはずだった小説の掲載誌の広告が…そこには自分の名前と小説のタイトルが載っていた。
これを見て、主人公は「未来はもう既に決まっていることだから…」とずぼらを決め込み、何もしないままにその日を迎えるが、その前日は先に届いた新聞のとおりに物事は起り、雑誌には自分の小説もしっかりと掲載されていた。自分の書いた(はずの)小説を読んでみても、書いた憶えは全く無いが、なかなか良く出来ていると感心し、ほっとしながら街にくり出す。そこで友人とばったり会い、挨拶をするが、友人は見知らぬものを見るような態度をとる…ショーウィンドーに映る自分の姿は以前とは全く変っていないのに…何が起ったのか?自分は何者なんだ?…
といった、因果律を否定する内容の不条理もの…またはパラレルワールドものといった感じの短編でした。「夢オチ」で片付けている部分もあったり、エッセイ風にまとめられているところもあって、吉行淳之介ってこんな書き方もするんだ…と新たな発見もありましたが、まあご本人も肩の力を抜いて書き上げたのでしょう。色っぽい女の人も出てきませんし(笑)…「以下のことは、夢なのか現実なのか曖昧なのだが」「もし現実に起ったとしたらSFといえよう」…と自分から言ってしまうところが何か可笑しくて笑えました。
と、この短編そのものは、まあ読んで損しなかったな…そんな程度の感想しか持たなかったのですが、この作品のなかに、先の阿刀田版「明日の新聞」から続く競馬ミステリーの金鉱を発見したのでした。
吉行版「あしたの夕刊」で未来に起ることが書かれていた新聞は「あした」のでも、「夕刊」でもなく、約2週間先の朝刊だったのでしたが、では何故このタイトルが付けられたかといいますと、小説内において、別の小説についての詳細な記述があるのです。その小説とは、牧逸馬(まき・いつま)の書いた「七時〇三分」(1935年)というタイトルのもの。小学生の時にこれを読んだ主人公(吉行氏の分身)の回想が綴られているのですが、この「七時〇三分」で主題となっているのが、翌日の新聞=「あしたの夕刊」なのです。ということで、吉行版「あしたの夕刊」は、「七時〇三分」にインスパイアされた吉行氏が、この小説を題材にし、アレンジを施して作り上げたアンサー・ノベルとなるのです。
「七時〇三分」について、作中ではこう書かれています…「その男のところにだけ、ある夕方、翌日の夕方に発行される筈の夕刊が配達される、という不気味な設定である…」そして牧逸馬という小説家の紹介(僅か35歳の若さで夭逝し、「林不忘」(はやし・ふぼう)のペンネームで「丹下左膳」を書き上げた等)、そしてこの「七時〇三分」が最後の小説であり、絶筆となった未完の作品である事について、かなりのページを割いています。
さらに「七時〇三分」についての大まかなあらすじも…ここでは多くは書けませんが、明日の夕刊を自分だけ手に入れた主人公が、競馬で大もうけするが、その帰路で再び新聞を眼にすると…そこには自分の名前があったのでした!
この作品を読み終わるや否や、僕が「七時〇三分」を収録している、「牧逸馬探偵小説選」(論創社刊)を借りに書架まで急いだことは、言うまでもありません…
「明日の新聞」をめぐるクロニクル、ちょっと意外な方向に…
続きます。
※吉行淳之介「あしたの夕刊」は、吉行淳之介全集 第3巻(新潮社)以外にも、アンソロジー北村薫・宮部みゆき編「名短編、ここにあり」(ちくま文庫)にも収録されています。
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